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October , 2024
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昭和の大巨星逝く

2014年11月19日(水)01時40分更新

「健さん」がこの世を去った。昭和の大スター高倉健(本名=小田剛一)さんが遡ること1週間前の10日、すでに亡くなったことが18日、わかった。享年83。次回作を準備中に体調を崩し、悪性リンパ腫と診断され、東京都内の病院に入院していた矢先のことだった。本人の意向で、すでに近親者のみで葬儀は済ませたという。

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健さんは乙松さんのように安らかに旅立っていった。ありがとう…この思い、健さんに届くだろうか

健さんは乙松さんのように安らかに旅立っていった。ありがとう…この思い、健さんに届くだろうか

 もろ肌脱いだ健さんの背中に、唐獅子牡丹のいれずみが見事に咲いた。若者たちは熱狂し、その演技に吸い込まれていった。1955年、東映ニューフェース第2期生として東映に入社した健さんは、網走番外地シリーズをはじめ、60年代から70年代半ばにかけて、任侠映画で一世を風びした。健さんは「ほとんどが前科者の役なのにこんな章をいただけるなんて…」と2013年に文化勲章を受章した時に照れながらそう語った。しかし健さんが演じた前科者は、常に訳ありだった。決して血も涙もないヤクザ者ではない。義理と人情を大切にした侠客を演じたからこそ健さんがあった。

◇命日が同じ

 東映の看板俳優だった76年、社の方針と齟齬が生じフリーに転身。独立第1作となったサスペンス映画「君よ憤怒の河を渉れ」(76年公開)で罠にはめられた逃亡検事役を見事に演じ、その後は第1回日本アカデミー賞、第20回ブルーリボン賞でともに最優秀主演男優賞に輝いた「幸福の黄色いハンカチ」(77年公開)に代表される、武骨で無口だが、頼れる男を演じると右に出るものはいない健さん像を不動のものにした。

「八甲田山」(77年公開)、「野性の証明」(78年)、「動乱」(80年)、「遥かなる山の呼び声」(同)、「駅 STATION」(81年)、「南極物語」(83年)、「居酒屋兆治」(同)、「あ・うん」(89年)、「鉄道員(ぽっぽや)」(99年)などに主演、代表作を挙げるときりがない。2012年公開の主演作「あなたへ」が遺作となった。生涯205本の映画に出演し、89年公開のハリウッド映画「ブラックレイン」では主役のマイケル・ダグラスと共演し、05年公開の日中合作映画「単騎、千里を走る」で主演するなど、国際的にも活躍した。ちなみに漫画が原作の映画「ゴルゴ13」(75年公開)では主人公のスナイパー・デューク東郷役を演じたこともある。

 心配りの人、決して偉ぶらない人…健さんを悪くいう関係者は皆無に等しい。かつて日本生命のコマーシャルで「自分、不器用ですから」のフレーズで〝健さん=武骨で寡黙〟を決定づけたが、もちろん大騒ぎはしないものの、つねに周りを楽しませるユーモアあふれる一面もあったという。

 プライベートでは59年、歌手で女優の江利チエミさん(享年45=82年死去)と結婚するが、江利さんサイドの事情で71年に離婚。その後、健さんは再婚することなく独身を貫き、江利さんの命日前後には必ず墓前に手を合わせたという。とにかく仕事以外では謎に包まれていた健さん。それだけに出演作がしばらく開くと「死亡説」が流れたり、中には「ホモ説」など誹謗や中傷に似たヨタ話もよく流されもした。有名税と言えばそれまでだが、とにかく健さんは常に話題の中心にいた。

 ネット情報が火付け役になって判明したが、健さんが亡くなった11月10日は2012年の森光子さん(享年92)、09年の森繁久彌さん(同96)の命日にも当たる。昭和の大御所3人が奇しくも同じ日に亡くなっていたとは、運命のいたずらなのかもしれない。

◇往く道は精進にして~ 

 参考までに、高倉プロモーションから健さん死去の一報を報道各社に伝えた全文は以下の通り。

 

映画俳優 高倉健は、

次回作準備中、体調不良につき入院、治療を続けておりましたが、容体急変にて11月10日午前3:49 都内の病院にて旅立ちました。

生ききった安らかな笑顔でございました。

病名 悪性リンパ腫

「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

83歳の命を全う致しました。

治療に携わって下さいました病院スタッフの皆様から温かい涙とともにお見送り戴き、故人の遺志に従い、すでに近親者にて密葬を執り行いました。

これまで、お励まし戴きました皆様、心より深く感謝申し上げます。有難うございました。

今は、お一人おひとりの心の中に宿る故人の笑顔に、静かに祈りを捧げて戴けますことを願っております。

尚、勝手ではございますが、供花、供物などご遠慮させて戴きますこと、あわせてご了承下さいますようお願い申し上げます。

合掌

2014年11月18日

高倉プロモーション

 

「往く道は精進にして~」――辞世の句ともいえるフレーズは、いかにも健さんらしく、また「安らかな笑顔」で逝ったのは「ぽっぽや」の主人公、佐藤乙松の最期を思い出させる。健さんは、きっとすべてを演じきってこの世を去ったに違いない。今ごろ江利さんや渥美(清)さん、大原(麗子)さん、それに命日が同じ森繁さんや森さん…多くの仲間に迎えられ、気恥ずかしそうにこうべを垂れ、皆にあいさつをしているのかもしれない。健さん、ありがとう。そんな言葉が日本中から聞こえてきそうだ。改めて合掌。




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コメント数 3件

  1. ogichu

    廃線の日まで、生後間もない娘が亡くなった日も、妻が先立った日も、駅に立ち、愚直なまでに鉄道員(ぽっぽや)を貫いた佐藤乙松(高倉健)の人生を描いたヒューマンドラマ。感動しました。ご冥福をお祈りいたします。

    投稿日2014年11月21日 AM 10:46

  2. ken

    高倉健さん死去に中国からも悲しみの声が相次ぐ

    投稿日2014年11月21日 AM 11:05

  3. ぽっぽや

    高倉健さんの ご冥福をお祈りします。

    投稿日2014年11月21日 AM 11:31

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