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November , 2018
Thursday

阪神大震災を振り返る~藤本義一さんからのハガキ

2015年1月17日(土)02時30分更新

 17日は阪神大震災発生からちょうど20年の節目の日だ。自然の力の前では人間は非力、無力だということを思い知らされたあの日、人々は絶望とともに、恐怖のどん底に突き落とされた。改めて、〝あの日〟を振り返り、人は何を思い、何を感じたか、本サイト記者に届いた1通のはがきを交え顧みた。

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震災後に届いた無事を知らせる寒中見舞い。濃紺インクの万年筆でしたためられていた

震災後に届いた無事を知らせる寒中見舞い。濃紺インクの万年筆でしたためられていた

 バブル崩壊で経済大国の名が後退基調にあっても、戦後、戦争放棄を憲法にうたい、目ざましい復興を遂げて以来、安全大国だけは我が国ニッポンの揺るぎない代名詞だったハズだった。ところがその神話が、はかない幻想だったことに気づかされたのは今からちょうど20年前、戦後50年に当たる年でもある1995年1月17日午前5時46分のことだった。

 兵庫・淡路島北部(北緯34度36分、東経135度02分)を震源(深さ16㌔)とするマグニチュード7.3の巨大地震が人々を襲った。神戸、芦屋、西宮、宝塚の各市、北淡、一宮、津名(一部)の3町(後にこの3町に淡路町、東浦町が合併し淡路市)では最大震度7を記録、突然の自然の猛威に、ようやく夜が明け始めた街はなすすべがなかった。

◇恐怖のどん底

「私は書斎のベッドで寝ていて、揺れに驚いて目を覚ましたのはいいが、本がまるで凶器のように宙を飛び交っていた。目の前をナイフのようにかすめていったときは、もうダメかと思った。生きているのが不思議なくらい」

 これは西宮市在住の作家・藤本義一氏(故人=2012年10月死去、享年79)が本サイト記者のKに語った後日談だ。当時夕刊紙記者だったKは、何かとあれば東京のオフィスから藤本氏に電話して、コメントをもらう間柄。心配になって藤本氏に電話しても、ライフラインは寸断され、しばらく連絡が取れなくなった。無事の確認と激励の手紙を送るしかできなかったKだったが、震災から10日後、Kの元に藤本氏から直筆の寒中見舞いが届いた。付き合いのある編集者や記者が多数いる中、恐らく一人一人に無事を伝えたのだろう。「決して長い文章ではないが、不便を強いられながらも元気にしている様がよくわかる文章だった」(K)。

 参考までにはがき(写真)の内容は以下の通り(原文ママ=統紀子さんは藤本夫人)

 

お見舞状いただき

ありがとうございました。

一同、ケガもなく無事でした。

電話・ガス等がまだ

不通ですので、皆様に

御心配おかけしてしまいました。

余震に身ぶるいする日を

送っていますが、元気です。

               藤 本 義 一

                   統紀子

 

 藤本氏同様、当事者である被災者の恐怖と絶望感は計り知れないものがあっただろうが、ブラウン管を通してその光景を見た多くの日本国民も、驚きと悲しみ、何より映画のワンシーンを見せられているような感覚に息をのんだに違いない。「テレビをつけた途端、まず何が起こっているのかわからなかった。いたるところから火の手が上がり、崩落した高速道路上では、車体半分が宙に浮いたバスが映し出されていた。こんなことが、この日本で起きていいのか、いや起きるわけがない…自問自答しながら、涙があふれてきたことを思い出す」こう話したのは東京在勤の50代の会社員。

◇根拠のない自信は持つべからず

 死者6434人(うち兵庫県内6402人)、行方不明者3人、負傷者4万3792人を出した大惨事。二度と繰り返すことのない、いや二度と繰り返されるはずのなかったハズの大惨事が、さらにその16年後の2011年3月11日、東日本大震災で繰り返された。地震大国ニッポンにいながら我々日本人は安全、平和を謳歌してきた…ハズなのに…。

 東日本大震災では建物火災や倒壊による被害が甚大だった阪神大震災と違い、津波による被害が大きかった。さらに原発事故が絡んだことで、いっそう傷跡、爪痕を広げる結果になった。死者1万5889人(うち宮城県内9538人、岩手県内4673人、福島県内1611人=数字はすべて1月9日現在=以下同)、行方不明者2594人、負傷者6152人は阪神大震災の数字を遥かに上回る大惨事となった。

 地震のメカニズムはわかっても、確実に起こるべく地震を止めるスベは、いまの科学にはない。予知も現状では完ぺきとは言えない。だからこそ発生前にどう備えるか、また起きた時にどう対処するかが大事だとよく言われている。家具に転倒防止のための器具を取り付けたり、非常食を常に備蓄しておくなどは基本中の基本。また日本で暮らす限り、常に危険と背中合わせと認識し、「私だけは大丈夫」といった根拠のない自信を持つことはやめること。

〝のど元過ぎれば熱さ忘れる〟ではないが、阪神大震災どころか東日本大震災でさえ、すでに記憶から薄れている人も少なくないと聞く。地震列島、火山大国ニッポンにいる限り、実は100%安全な場所などはない。だからこそ常に「自分も被災者になるかもしれない」…その意識を持ち続けることが、安心につながる極意なのかもしれない。改めて被災者に哀悼の意を込め、またその死を決して無駄にしないと誓いながら…合掌。


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1 Response

  1. 団塊世代の男

     阪神・淡路大震災からもう20年。早いものですね。 被災された作家の藤本義一さんもすでに他界されて・・・。直筆の手紙、アップして拝見しました。味のある字体、いいですね。「他人に対して優しかった」という故人の人柄が偲ばれます。
     改めて阪神・淡路大震災で、また東日本大震災で亡くなられた方々に、そして藤本義一さんに哀悼の意を表したいと思います。

    投稿日2015年1月17日 PM 12:24

コメント




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