「コトワザウルス」~転ばぬ先の…
アラカンならぬアラサン世代の本サイトご隠居顧問が世に伝わる諺、名言(迷言?)、慣用句…などなど言葉の数々をクローズアップしてお届けする「コトワザウルス」。今回は、相次ぐ大病院の医療事件を取り上げ、「われら老人が自覚すべきこと」とご隠居目線で持論を展開させた。
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ここんとこ、大病院が何かとあわただしくなってきました。群馬大学付属病院の院長さんが、部下の医療過誤の責任を取って目の前にぶら下がっていた「群馬大学学長」の座を辞退されたと思ったら、今度は千葉県がんセンターでも同じ「腹腔鏡手術」の失敗によると見られる死亡患者が10人(調査対象は11人)も出たとのニュースで、日本中の人がおなかを押さえながら震えあがっています。しかも、怖いほどよく似ているのは、そのうち1人の医師が担当した患者が8人も亡くなっている事実と、麻酔科の医師から何度か内部告発があった(のにどこかで誰かが握りつぶしていたらしい)ことなどです。
なぜ、大学の医学部を出られた秀才や博士の集団である大学の付属病院や、がん患者にとって最終で最大の頼みの綱であるがんセンターでこのような大事件が起こるのでしょうか。山崎豊子の社会派小説『白い巨塔』でイヤというほど植えつけられた医局制度の腐敗は、原作はじめ映画やドラマで抗がん剤や放射線のように何度患部に注入・照射されても全く効かず、今や〝全身がん〟の最終段階にまで成長してしまっているのでしょうか。
◇天命が先に来そうな患者にも手術?
病院は病気を抱えて苦しみ悩む患者に救いの手を差し伸べる施設であると同時に、大勢の医師、職員に給与を与える企業体でもあります。病気を早目に見つけるための最新のMRIだとか、難病を治療するための高価な機器を備えていないと、患者はなかなか来てくれません。ところが、これらの機器類はめっぽう高く、投資金額を回収できないと病院の経営が成り立たないので、場合によってはカゼを引いたくらいのことでも「肺がんの疑い」としてMRI検査を勧めなければならないこともあるでしょう。また、手術後の余命より天命の方が先に来そうな患者にも、メスを入れることがあるかもしれません。
とすれば、いつお世話になるか分からない〝がん患者候補生〟としては、元気なうちから相当の覚悟をしておく必要がありそうです。言うまでもなく、心身ともに健康でがんを寄せ付けないようにすることですが、そのためにはどういう体の鍛え方をすればいいか、どんな心構えで生活するべきか、本当にがんに罹りにくくできるのかなどなど、疑問も迷いも膨らむ一方で正解は得られません。
◇理想は静かな大往生だが…
そこで、かく言うこのジジィは80歳を目前にして、将来に対する考え方を大きく変えていくことにしました。「後期高齢(75歳)期を過ぎたら、いかに長生きするかではなく、どんな死に方をしたいかを考えるべきだ」というふうにね。人生理想の終わり方として描いている自分の姿は「眠るように」「家族が後から気が付くような」亡くなり方、許されれば徳の高さがまったく違いますが、桂米朝師匠のような静かな大往生なのです。そして、もし不幸にもがんを告知されたとしても、あわてず騒がず、わが天命を理由にさらなる検査や手術を断り、痛みを和らげる処置だけで自宅に帰ることにしようと心に決めています。
この歳で手術をしたために食べる楽しみを失ったり、散歩もできなくなるほど体力を無くしてまでして、2~3年生き延びたところでなんのメリットがあるというのでしょう。家族のため、老妻のため、あるいは生命保険の都合で…なんて理由もあるとは思いますが、そのすべてを含めて家族と国保はこのジジィの死を「結構長生きしたよねぇ」と言って喜んでくれるでしょうよ。