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March , 2024
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今日見新々(3月19日=木)~①上方落語の神さま逝く②堂本光一主演舞台で事故、周囲は一時騒然③チュニジア無差別テロ

2015年3月19日(木)11時57分更新

 日ごと新しいニュースが飛び込んでくる。本サイトが毎日のニュースをコンパクトにまとめた「今日見新々」。今日はどんなことがあったんだろう。早速覗いていよう。

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 【上方落語の中興の祖、死す】

THE上方落語遂に逝く(写真はDVD「米朝らくごの世界」=ユニバーサルミュージック)

THE上方落語逝く(写真はDVD「桂米朝らくごの世界」=ユニバーサルミュージック)

 落語界に大きな足跡を残してきた人間国宝の落語家、桂米朝さん(本名・中川清さん)がこの日、肺炎のため死去した。享年89。米朝さんは1943年、大東文化学院(現・大東大)に入学するが44年軍隊に入隊する。しかし病気のため入院先で終戦を迎え、大学は中退し一時、神戸市内の会社に勤めた。当初は落語愛好家の立場で上方落語の復興に尽力していたが47年、4代目桂米團治(51年死去、享年55)に入門、3代目桂米朝を名乗った。入門当時は衰退していた上方落語だったが、後に「上方落語四天王」と呼ばれ人気を博した6代目笑福亭松鶴(86年没、享年68)、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝=05年没、享年74)、3代目桂春団治(84)とともに復興に大きく貢献した。

 60年代以降はテレビタレントとしても活躍の場を広げ、司会や俳優などマルチな才能を発揮した。96年には落語界では前年の5代目柳家小さん(02年没、享年89)に続き、2人目の人間国宝に認定され、09年には演芸界としては初となる文化勲章を受章した。13年に患った肺炎の影響で入退院を続けており、毎年恒例の「米朝一門会」にも2年続けて欠席、病状が心配されていた。通夜は24日午後6時から、葬儀は25日午前11時から大阪・吹田市の公益社「千里会館まほろば」で執り行われる。喪主は長男の桂米團治。

 【堂本光一主演舞台で事故、劇場内外は一時騒然】

 この日午後4時ごろ、帝国劇場(東京・日比谷)で上演されていたKinKi Kids堂本光一(36)の主演ミュージカル「Endless SHOCK 昼の部」(午後1時開演)で突然、舞台セットの高さ7㍍、幅3㍍、重さ800㌔のLEDパネルが倒れ、20~40代の出演者のダンサー5人とスタッフ1人の計6人の男性が負傷した。一人は当初、重傷とされたが救急搬送された病院で打撲と診断され、幸い大事に至らず、その日のうちに全員が退院したという。客席には1900人のファンがいたが、ケガ人はいなかった。午後6時から開演予定だった午後の部は中止となり、途中で公演中止となって退場してきた観客や午後の部の開場を待ちわびるファンなどで、一時劇場前は騒然とした。

 この舞台は2000年、光一が当時21歳で最年少座長を務めて以来、「SHOCK」シリーズとして回を重ねてきた。すでに上演回数は1200回を超え、単独主演舞台としては故・森光子さん(12年没、享年92)の「放浪記」(2017回)に次ぐ記録になっている。参考までに故・森繁久彌さん(09年没、96歳)の「屋根の上のバイオリン弾き」の上演回数は900回。

 光一自身、この舞台の上演中に太腿筋肉断裂や右足首じん帯損傷、またリハーサル中には落下事故で1週間入院するなど、大きなケガとの戦いでもあった。それでも穴を開けることなく演じ続けてきた、まさに芸能人生を賭けた舞台だけに、大きなショックを受けているという。公演は31日までの予定だが、今後のスケジュールは詳細が決まり次第、劇場のHP(http://www.tohostage.com/shock/)で発表する。

 【日本人を狙った「イスラム国」によるテロ!?】

 地中海に面したアフリカ最北端に位置するチュニジアは、かつてフランスが保護地として統治していた国だった。人口1100万人を擁する首都チュニス市は北アフリカ屈指の大都市で、その中心部から5キロほどにある国立バルドー博物館でその事件は起こった。観光が主な収入源の同国は、この日も地中海を巡る豪華客船クルーズの経由地として、多くの観光客たちがオプショナルツアーなどに参加して思い思いの旅を満喫していた。特にバルドー博物館は、ローマ時代からの貴重なコレクションが数多く展示され、チュニジアのルーブルとさえ言われほど有名で、同国が誇る世界遺産「カルタゴ遺跡」などとともに人気スポットだった。

 世界屈指の博物館前にチャーターバスが停車し、観光客が下車し始めた時だった。いきなり響く銃声に観光客たちは悲鳴を上げる。あろうことか、銃口は観光客たちに向けられていたのだ。その後、銃を持った武装グループは、博物館内に逃げ込んだ観光客ら100人以上を人質に博物館を占拠。急行した治安部隊と3時間ほどにらみ合いが続いた。最後は治安部隊が博物館内に突入し、犯行グループの20代と30代の男2人(ともにチュニジア人)を殺害、日本時間の19日までに9人はチュニジア当局に拘束されたとされるが一部は今も逃走中と見られている。

 銃撃を受けた観光客にも甚大な被害が出た。外国人観光客20人とチュニジア人3人の計23人が死亡し、47人が重軽傷を負った。死亡者の国籍はイタリア人、スペイン人とコロンビア人、フランス人、イギリス人、オーストラリア人、ポーランド人、ベルギー人、そして不幸にも日本人も3人が犠牲になった。被害に遭ったのは成沢万知代さん(66、東京・荒川区)と宮崎チエミさん(49)、遥さん(22)母娘(ともに埼玉・狭山市)で、ほかに男性1人、女性2人の計4人の日本人が負傷した。

 今回犯行の起きたチュニス市は外務省の渡航危険情報でも、比較的安全とされる「十分注意してください」地域。4段階ある危険レベルで最低だった。11年に「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が始まって以来、一時悪化した治安もこのところ安定し、年間3000人ほどまで落ち込んでいた日本人の観光客もここ1~2年で倍増以上の6000~7000人に回復していた矢先の惨事だった。

 チュニジア政府によると、射殺された犯行グループ2人は同政府が13年にテロ組織として指定したイスラム過激派組織「チュニジアのアンサール・シャリーア」とつながりがあるとみており、今回の犯行をテロと断定し捜査している。現時点で犯行声明は出されていないが、もともと犯行グループは博物館と隣接する国会議事堂を狙ったが、警備が厳しかったため、ターゲットを外国人観光客に変更したという説や、観光立国のチュニジアに打撃を与えるため最初から外国人観光客を狙ったなど、諸説入り乱れている。中には日本人の被害が大きかったことから、あえて日本人が多く集まったところを狙ったイスラム国の犯行ではないか、とうがった見方をする向きもある。まさかと思うが、用心に越したことはなく、外務省はこの日、早速チュニス市の危険情報を「十分注意してください」から「渡航の是非を検討してください」に一段階引き上げた。

 


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