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文太が死んだ~本サイトだけが知る?エピソード

2014年12月3日(水)02時47分更新

 文太が死んだ。高倉健さんに続き、昭和の大スターがまたも鬼籍に入った。健さんのように〝さん〟づけでは呼ばない。俳優仲間など身近な関係者は親しみを込めて〝文ちゃん〟と呼び、ファンは呼び捨てるか、〝文太アニい〟と表現する。俳優業を通して確固たる地位を築き、晩年は農業に従事し、また天下国家を憂う活動を続けた文太。東日本大震災で甚大な被害を受けた故郷の復興を見ることなく、彼は逝ってしまった。

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レンタルビデオ店では追悼コーナーが早速設けられた

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 菅原文太さん逝去の報が1日、師走の日本国中を巡った。約2週間前の11月18日、高倉健さんが亡くなったこと(10日死去、享年83)が明らかになったばかりの相次ぐ訃報に、関係者やファンは耳目を疑った。しかし事実は覆らない。28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため、入院先の東京都内の病院で亡くなった。享年81。葬儀はすでに親族だけで済ませた。

◇40歳で当たり役

 文太が映画界で頭角を現すのはかなり遅い。早大在学中に劇団四季の一期生として入団するが目が出ず、180㌢近くある長身を生かし、ファッションモデルをして糊口をしのいだ。映画界へは新東宝にスカウトされデビュー。いくつか主演作はあったが、代表作には恵まれないまま会社は倒産。その後、松竹を経て東映に移ったが、当初は端役ばかりで全く目が出なかった。

 転機が訪れたのは1969年、東映初の主演作となった「現代やくざ 与太者の掟」で、それまで故鶴田浩二さんや健さんが演じてきた義理と人情に生きる侠客やくざではなく、暴力装置として単に力を鼓舞するやくざ役を演じ、それがシリーズ化。73年には故飯干晃一氏原作、故深作欣二監督でシリーズ化された実録やくざ映画「仁義なき戦い」に主演、主人公・広能昌三役が当たり役となり、角刈りとセリフで使われる広島弁が文太のトレードマークの一つとなった。70年代の男たちは仁義なき戦いを見た後、肩で風を切って映画館から出てきた。いつのまにか〝にわか文太〟に変身、社会現象のようになっていったのだ。

 40歳を超してからようやく芽が出た文太。その後は75年、電飾ギラギラの通称デコトラを駆って相棒の〝やもめのジョナサン〟を演じた愛川欽也とコンビを組み大ヒットした「トラック野郎」がシリーズ化。全10シリーズで、いつもマドンナに振られる東映版の〝寅さん〟こと〝一番星の桃次郎〟を好演じた。映画出演は全214作。映画主体の健さんと違い、文太は「獅子の時代」主演をはじめ、NHK大河5作に出演するなど、テレビドラマにも多数出演した。2001年公開の劇場アニメ「千と千尋の神隠し」では釜爺役で声優にも挑戦、大人だけでなく子どもたちにも人気を博した。記憶に残るCMにも多数出演し、とくに「朝日ソーラじゃけん」のセリフで同社を全国的に有名にさせ、近年ではスズキの軽トラックのCMで、タレントのはるな愛と軽妙な〝父娘〟役を演じて話題になった。

◇文太、絶句

 98年に都会を離れ、岐阜・飛騨高山に移住、その間の01年に長男で俳優の菅原加織さん(享年31)を電車の踏切事故で失うという不幸にも見舞われた。その後、09年には山梨・北杜市に農業法人を設立し、自らも農作業に汗を流していた。もともと何事に対しても問題意識が強い性格で、特に11年3月11日、故郷の宮城県等を襲った東日本大震災をきっかけに「役者をやっている場合じゃない」と俳優業を実質的に廃業、被災者支援と脱原発を訴えて活動を続けていた。アウトローに見えて、実はインテリ。積極的に反戦なども訴えており原発推進、右傾化が進む安倍政権には批判的だったと言われている。

 本サイトだけが知っている、文太のこんなエピソードを一つ。かつてやくざ映画全盛だった70年代、首都圏にある某クラブで飲んでいた文太。酒豪の文太の他に、やはり酒豪のUなど、複数の親しい俳優たちが楽しく飲んでいた。その中に文太の大先輩で下戸の俳優X(故人)が同席していた。酒は飲めないが、宴席と女は大好きなXは上機嫌。そこに、あるマスコミ関係者がその日に行われた俳優たちのインタビューのギャラを持って来店してきた。まず最年長のXにギャラ入り封筒を渡そうとしたら、Xの手に渡すより先に小指の無いごつい手が…。「Xさん、これは返済に回しておきますからね」

 そう、Xは裏社会から借金しており、返済が滞りがちなXには、つねに回収側の監視の目が光っていたのだ。それで済めばよかったが「ハイそれも」と文太はじめ、他の俳優たちのギャラまで当然のように回収し、やくざは店を引き上げてしまった。「エエーっ!」、文太たちは絶句した。果たして文太たちのギャラはどうなった? その後の事は、また機会があればどこかで触れるが、とにかく暴対法だ、暴排条例だと厳しい今般じゃ考えられないエピソードである。

 ロマンスグレーの頭髪で天下国家を語る菅原さんも格好よかったが、やはり我々中高年には特徴的な角刈り頭に鋭い目つき、濃い眉に大きな耳…手には拳銃やドスは持たなくてもいいが、そんな文太が懐かしい。「死んだらダメだよ」、俳優仲間の松方弘樹はそう言って故人の死を惜しんだ。それでも「ほいじゃあのう」、きっと文太はそうセリフを吐いてこの世を去ったに違いない。文太、文太アニい、文ちゃん…今までありがとう。改めて合掌。


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