「テレビ紳士録」第7回~愛川欽也
あの人、この人、どんな人?――本サイトご隠居顧問が、テレビで見かける気になる人物をクローズアップする。アラサン世代(傘寿)の独自目線で人物ウオッチした「テレビ紳士録」。今回は惜しまれつつもこの世を去った、稀代のエンターテイナー愛川欽也さんを取り上げる。同世代を失ったご隠居の思いのタケ、そして贈る(送る)言葉。「たった80歳!! 君よ若死にしたもうことなかれ」…とくとご覧あれ。
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「人生100年時代」に入ったというのに、万人から愛された男・愛川欽也さんが肺がんで亡くなった。昭和9年生まれの80歳は早すぎる。筆者の1年先輩だが、この人物の大きさがケタ違いだ。略歴を記そうにも、功績をまとめようにも、ほかの人のように簡単には収まらない。どれを記し、何を外すかがこれほど難しい経歴や功績を持った人を知らない。だから筆者はそんな書き方を諦めることにした。ごめん!
◇キンキンの存在の大きさを知らずにいた理由
マスコミの仕事に携わりながらキンキンの存在の大きさを知らずに過ごしてきたなんて、モグリもいいところだとお思いだろうが、それにはちょいとした訳がある。ときどき恐縮しながら私事を持ち出すが、「自分の子供(当時5歳と2歳)の大事な『ケロンパお姉さん』を離婚した翌日にかっさらって行ったヤバい奴」というマイナスのイメージを『なるほど!ザ・ワールド』を見るまで持ち続けていたせいで、あまり関心がわかなかったのだろう。また、彼が企画して大ヒットした『トラック野郎』シリーズも、試写会さえ敬遠するほど趣味の合わない映画だったことも、キンキンを知らずにいた理由の一つだった。
つくづく惜しいことをしたと悔やまれるが、またここで私事が挟まる。つい1カ月ほど前、卒業した高校で『傘寿を祝う同窓会』が開かれた。出席者は意外にも50人もあった。昭和29年の卒業なので『招福会』と名づけられたが、その命名が良かったのか、「残念ながら欠席」の通知が90通(筆者もその一人)もあった。判明した物故者は82人だから、総勢222人の同級生の生存率はなんと63%にも上っている。
出席者の一人からこんな話を聞いた。「同窓会はこれが最後だそうだ。次は8年後に米寿があるが、この時まではたして何人が生き残るか。やっと集まっても先に逝った人たちの〝お悔やみ会〟になりそうだから6割強も生きていることが分った今回を最後にしようと言うことらしい」――。それに、これから先、級友に自慢できるような肩書が付く可能性は全くないわけだし…ね。筆者はナゼか胸をなでおろした。
◇大物エンターテイナーはキンキンが最後
そう言えばごく最近、厚労省が発表した2012年の日本人の平均寿命によると、女性=86.41歳(世界ランク1位)、男性=79.94歳(同5位)に延びたとある。
キンキンはそれを辛うじてクリアしてから逝ったことになるが、この人にはもっともっと元気でいてほしかった。『なるほどー』で見せたアレグロ・プレスティシモ(音楽では最も早いテンポ)な口調の名司会は、もう誰もまねは出来ないだろう。これは彼が東京の生まれ・育ちであったことや、若いころから洋画などの吹き替えで鍛えたことによるところ大だからだ。そして、人気者にありがちな嫌味や偉いものぶったところのない大物エンターテイナーは、この人をもって最後となるだろう。脚本家、演出家、声優、役者、企画家、司会者などの顔を持ち、そのすべてで名をなしたこの人の偉大さをどれだけ称賛しても、キンキンと最も長い時間を過ごしたケロンパのこの言葉の前には虚しい。「キンキン、よくがんばったね。いろいろ楽しかったね。本当に本当にありがとう」――もう、余計なことは語るまい。世の中のどんな偉い人も、最愛の人からこれほど素朴で美しい愛の言葉をもらった人はいないだろう。キンキンはエライ。そして、ケロンパはもっとエライ。久しぶりに感動した! ありがとう、お二人さん。
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