ご隠居新コラム『コトワザウルス』~地球一周が目標…ダァ!~
アラカン(還暦)ならぬアラサン(傘寿)世代の本サイトご隠居顧問が、あらゆる話題に斬り込む『クレーマー天狗』…といつもはこうなるところだが、本日はちょっと寄り道して不定期にお送りする新コラム『コトワザウルス』のスタートだ。長い人生、目に、耳に、口にした諺には、人それぞれの解釈がある。早速、ご隠居はのたまった。「長生きのためには『年寄りも冷や水を』」と。いったい、どういうこと?
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ことわざってものは、大昔から何代にもわたる何万人もの先人たちが練りに練った知恵だけに、覚えておいて損はない。だが、それにとらわれ過ぎるのもどうか。例えば、一つのことわざや警句に二つの意味があったり、また、正反対のものがあったりで、どっちを信用していいのか分からないことは無かったろうか。例えば「犬も歩けば棒に当たる」は〝いろはかるた〟でお馴染みだが、その意味するところは(A)「やたら余計なことをすると痛い思いをするぞ」と取るか、(B)「何でも行動しなければチャンスは来ない。やってみなはれ」と言っているのか、まるで正反対で迷うばかりだ。
大体、年寄りってものはワル知恵が働くから、「わしはAの意味で言ったのさ」「いやいや、おれはBの意味で使ったつもりだよ」なんて、状況に合わせて使い分けてるよね。大体、いまどき諺を引用したり、諺で何かを説明するなんて人って、ほとんど居ないんじゃないかなぁ。結婚披露宴のスピーチで諺を交えてしゃべられたら、目も当てられないもんねぇ。
◇長生きを論ずるのもおこがましいが…
だからと言ってどんな使い方をしてもいいという事にはならないし、意味を知らなくてもいいということにもならない。が、意味を充分知った上で、自分流に解釈して楽しむ分には大いに結構。例えば、こんなのはどうでしょう。「三つ子の魂百までも」というのがある。意味は<子供のころに付いた習慣は百歳になっても直らない>となる。昔は百歳なんて仙人か妖怪くらいだったから、まぁ、死ぬまで直らないと解釈しようか。似たような諺に「雀百まで踊り忘れず」というのもある。これは<子供のころに形成された性格は死ぬまで直らない>だ。同じようなものだが前者は〝習慣〟を、後者は〝性格〟をテーマにしているところが憎い。でもね、私の解釈はチョイト違うんだ。前者は<年をとっても子供のような素直な心と好奇心を持った人は、健康のまま天寿を全うできる>だし、後者は<歳をとっても茶目っ気を忘れなければ、真面目くさって生きている人よりずっと丈夫で長生きできる>となる。まだ80歳前の人間が〝長生き〟を論ずるのもおこがましいが、あと1年余り、80を越えてからが勝負だと思っている。
◇石の上にも十二年!? くらいのつもり
そのためには、ときどき「年寄りの冷や水」〈年寄りが冷たい水を飲むのは健康に良くない〉〈あまり歳に似合わない運動や趣味はやめた方がよい〉と他人から言われるようなこともやってみた方がよいと思っている。自分のことで恐縮だが、「その歳で自転車を乗り回すのは危ない」「交通事故にでもあったらどうするの」という周囲の心配をよそに、三日に一回、20~30㌔をメドに東京中を走り回っている。あと何年走れるかが問題だが、最終目標は地球一周にあたる4万㌔。始めてから5年以上になるが、現在1万9000㌔あまり。この調子でいくと90歳までかかるのではないかと…。事故は転倒三回でいずれも軽傷どまり。一式2800円の自転車用距離計を付けて、子供のように距離が延びて行くのを楽しんでいる。北極からスタートしたとして、間もなく南極に到達する距離を走ったことになるが、ことわざ流に言えば「一万里の道も一歩から」だし、「石の上にも十二年」くらいのつもりでやり抜くぞ! おうっ!
(本サイトご隠居顧問=当コラムは毎週月曜、木曜の週2回掲載=都合により休載の場合もありますのでご了承ください)
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